『いまさら翼といわれても』を読んで

こんにちは、つきみです。

前回から2ヶ月経ってしまいました。

始めたばかりなのにこんなペースですみません。まあ書きたい時に書いてた方が長く続くと思うので(適当)

米澤穂信古典部シリーズの6冊目、『いまさら翼といわれても』を読んだ。1冊目の『氷菓』がアニメのタイトルに使われているので、そっちの方が馴染み深いだろうか。

この巻は短編集だが、どの話も古典部4人の過去や未来に焦点が当てられててミステリよりそっちがメインな感じだった。今までの話でキャラクターをある程度知った上で読むと意外な一面がどんどん出てきて面白かった。

それじゃあその面白かったところを書くかという流れだが、ネタバレかつグダグダになりそうなので止めておく。1番好きな話は『長い休日』で、お人好しの自分にはかなり刺さる話だった。

-----------------ここまで感想------------------

(感想読んでくれた方ありがとうございました。続きを読むかどうかはお任せします。)

そもそもなんでこの作品で記事を書くことになったかだが、それは「米澤穂信、文章が上手いなあ〜」と思ったからだ。最近買った文章講座をまとめた本の影響を強く受けている(単純すぎでは?)

その文章講座で特に心に残った言葉が、「心情をそのまま描写するな」。直接的に書くのではなく、台詞や動作で描写しろということだが、これが想像以上に色んなとこで当てはまるんだな〜と気づいた。

例えば、「ふくちゃんの表情が少し曇った気がした。大丈夫という気持ちを込めて一つ頷き、わたしは鞄を手に取る。」という摩耶花のモノローグで、「曇った"気がした"」という表現に目がいく。「曇った。」だけでも文章としては繋がるが、文末が曖昧なのでほんとに些細な変化だったのだろう、里志は摩耶花に悟られまいとしたが、摩耶花はなんとなく察して頷きだけ返したのかなと想像をかき立てられる。

こういう細かい表現があちこちにあって、人物の心情や関係性、生活環境など色々なことが伝わる文章が上手いって言うんだろうなあと、文章講座の内容が腑に落ちた。正直学生の頃に教えられてたことと同じような基本的なことで、これをブログに書いてるのもまあまあ恥ずかしいのだが、自分の中ではデカい発見だった。

ノベルゲーやラノベでも物語の展開に注目しがちだけど、文章自体を楽しむ視点を持って楽しめたらいいな〜と思う。

最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。

元々ノベルゲー、エロゲー中心に書くつもりだったんですが変な内容になってしまいました。でも書きたくなったからしょうがない。次は多分今やってるサクラノ詩とドーナドーナが終わったら書こうと思います。